わん鉄沿線

音楽ブログ「わんわん電鉄」の派生ブログ。

鈴井貴之さん『RE-START』刊行記念サイン会(東京)の想い出

2023年10月20日鈴井貴之さんのサイン会に行ってきました!!

 

 

私にとって人生初対面サイン会であり、人生初の鈴井さんイベントということで、非常に緊張しました…。

東京に来てくださったことが本当に嬉しかったです。

 

 

事前サイン入りとのことでしたが、実際は、目の前ですらすらすら〜っと書いてくださいました。綺麗なサインだなあと惚れ惚れとしてしまいました。

(サイン会に慣れていなさすぎて、ついついサインを書いていらっしゃるときにも声高に話しかけてしまいました💦すみません・・・。)

 

 

鈴井さん、本当にかっこよかったです、、。

といっても、緊張してたのか興奮してたのか、あんまり鈴井さんのお姿の記憶がないんです(泣)。待機列から眺めた姿と、鈴井さんに謁見し、お話させていただいたときの私の中の「感情」しか記憶になく……瞳がカメラだったら良かったのになあと思ったくらいです。目に焼き付けるって難しいですね。

 

 

でも!生で拝聴したお声は脳裏に焼き付いています笑

(ちなみに、鈴井さんの声が好きだなぁ~という思いが、ファンになるきっかけでした。)

 

 

握手までさせていただけて、本当に貴重な瞬間でした。ふわっとした大きな手で、感動しました。

 

 

幸せな時間というのは本当に一瞬ですから、会が終わってみると、「アレ?あれは夢だったのでは?」と、確かにあった過去の存否を疑いたくなってしまいます笑 

記憶と経験が自分の感覚の中に溶けていくような感じがします。

 

鈴井さん、東京で素敵なサイン会を開催していただき、ありがとうございました!!!

 

 

 

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私は、実はこのような「推し活」は、本当に久しぶりで、10年ぶりくらいかな?という感じです。

10年くらい前は、とある4人組バンドを推していて、今思えば"痛ファン"だったなと思います笑 しかも、バンド推しだったので、このような「接近戦イベント」に参加したことなどありません。それゆえ、今回の鈴井さんのサイン会が本当に人生初の「接近戦イベント」でした。

 

 

今は「推し活」が世の中に定着しているからか、ネットをみれば「接近戦イベント」を楽しむコツやマナーなどが書いてありますね。それらをよく読んで、よく勉強しました笑

 

 

唯一勉強したのに実践しなかったことといえば、十分な睡眠をとることでしょうか。実はサイン会付近の私は、とある締切に追われていたことから、10月20日前の一週間はほぼ徹夜状態で過ごしていました。それゆえ、サイン会当日は、無眠(むみん!)です。

 

 

しかも、なんとかファンレターなるお手紙もお渡ししたい!と欲張ってしまったため、徹夜状態にさらに拍車をかけることに・・・笑。当時大学院生だった私は、自分の研究室の机に張り付いて、出発時間ギリギリまで鈴井さんへのお手紙を一生懸命書いていました笑。読んでくださっていると嬉しいなぁ、という気持ちです。

 

 

そんなこんなで色々ありましたが、鈴井さんにお会いできて疲れも吹っ飛びました!!

 

 

落ち着いていて、穏やかな雰囲気のサイン会でした。

HMV&BOOKS渋谷には初めて行ったのですが、ゆったりした感じでいいですね。

 

 

超絶新規ファンとして肩身が狭いだろうなぁ…と勝手に予想していたのですが、特にそんなことを感じるような雰囲気ではなく、周りの方が身につけていらっしゃるonちゃんのグッズを拝見してほっこりできるような雰囲気でした。ありがたかったです(昔参加していた某バンドの「推し活」では、ファン同士の小競り合いとか、新規か古参かという争いが凄かったんです苦笑)。

 

 

ちなみに、今回のサイン会の私の反省点は、2つです。第一に、サインしてくださっているときに話しかけてしまったこと(気が散りますよね・・・)、第二に、声高でくねくねして話しかけてしまったため、完全に私がきもかったことです笑。

 

 

第二の点は、鈴井さんを前にして、緊張MAXな私が、ついやってしまったんですよね。もともと、テンションが高くなると、声が宇宙人並みに高くなって、謎に体をへにょへにょとくねらせるくせがあるのですが(よく他人にまねされるポイントです・・・)、それを「推し」の前でやってしまいました。今思えば、付近にいらっしゃったスタッフさんもドン引きなのでは・・・!?完全に、物理的にキモいファンですね。

もし次にこのような機会を頂けるとしたら、落ち着いて、参加させていただくよう心がけます笑 

 

 

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『RE-START』の内容の感想は、また別の記事にまとめることにさせていただくこととして。

 

 

実は、私は、ネイマールくんたちが好きなんです。表紙から、ネイマールくんの可愛さが溢れていましたね、、蝶ネクタイ最高です。

ネイマールくんは、喋りが上手で、ちょっとお父さんに似た感じで喋るところが好きです。ぜひいつかネイマールくんと話してみたいです(これは本当の気持ち)。

 

 

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たまたま私も"RE-START"な心境にあったものですから、その時期に鈴井さんにお目にかかれて本当に嬉しかったです。

8年間、ずっと自分の方向性を見失い続けてきて、ふらふらと自分がわからないまま生きてきた私でした。しかし、運命的に(笑)『水曜どうでしょう』、そして、鈴井さんに出会えて、嘘みたいに、魔法みたいに、ふっと過去の自分との連続性といいますか、新しい形で自分を取り戻すことができたんです。その時期に、良いタイミングで鈴井さんのサイン会が開催されて、運良く参加させていただけることになって、本当に嬉しかったです。

 

今も、鈴井さんがサインを入れてくださったご著書は、もちろん!丁寧に保管しています。気持ちが弱くなったとき、自分をまた見失いそうになったときに、手に取って、サインを眺めたり、中身を読んだりして、また気持ちをリセットしています。

 

 

このサイン会とサイン本は、自分の人生を取り戻して、リスタートできた私にとっての「ゼロキロポスト」です!

 

 

本当にすてきな機会を頂き、ありがとうございました!

これからも鈴井さんを応援します♪

「求める人物像」と自身のアイデンティティ

こんにちは、わんわん電鉄です。

私は、本当は24卒だったのですが、諸事情で今年の2月(修論提出後)から就活することになりました。現在、絶賛就職活動中です。

 

もともと私は就職活動が嫌いです。

学部生の頃、4社ほど受けましたが、3社は書類落ち、1社は圧迫面接で落ちました。成功体験は、ひとつもありません。そのため、就活には非常に苦手意識を抱いています。

 

 

この記事を書いているのは、2社のESを出し終わった朝です。

本当は一刻も早く寝なければいけないのですが、どうしても書きたい!と思い、書いています。我慢は毒です。

 

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実は、就活を始めてまだ2ヶ月ほどですが、既に何度も発狂しかけています。

就活は、本当につらいし、ストレスです。指導教員に怒られることよりも、修論の提出期限が迫ってくることよりも、ちょっと生意気な後輩にいじられることよりも、大学受験よりもストレスです。

もっとも、家族は、私の現状に寛容です。まったくもって、就職をせかしたり、無職であることを怒ったりしません。

 

 

ストレスの原因

どうしてこんなにストレスなのか・・・

それは、就職活動においては、自分という「商品」を企業に売り込む必要があるわけですが、相手のニーズに合わせた商品を提供しようとすることが苦痛だからです。

 

 

この「ニーズに合わせるということ」は、社会一般で非常に重要な取り組みだと思います。ただ好き勝手にやっていては、誰も評価してくれませんし、好きに商品を作って売ったところで、あまり売れることはないでしょう。

しかし、このことは、商品という(有形無形問わない)モノだからこそ、実践すべきことであると思います。モノには、感情も意志も人生もありません。モノに対して、作り手の想いが込められている場合もありますが、あくまでも、作り手とは切り離された存在です。自分≠モノ(商品)だからこそ、うまくニーズに合わせていくことができるのであり、そのメリットも大きいと思います。

 

 

ところが、人間の場合はどうでしょうか。

就職活動においては、「求める人物像」というニーズがあります。これに合わせていく必要がある、ということは、私が手にした就活本や、ネットで見たサイト、大学のキャリアセンターの人も言っていたことです。しかし、「求める人物像」に合わせにいくことは、ニーズに合わせた商品をつくることと本質的に異なることがあります。それは、人間には、感情、意思、人生があることです。自分の内面、パーソナリティを本来とは違った意味で解釈したり、それに違った方向からスポットを当てたりすることは、自身のアイデンティティを抑圧したり、あるいは、攪乱させたり、最悪の場合、自分を失ったりすることにつながると思います。

 

 

世の中の就活生は、これをうまくやってのけてるんですかね・・・?。

 

もちろん、本音と建前のように、企業に見せる強みと、自分で理解している強みが違うことは、社会人になる上で当然かもしれません。しかし、就職活動は、それが簡単にできるほど、甘くないと思います。実際に、面接では、ESや適性検査の結果に表れた強みが、相手の本質であるかどうかを見極めるような質問を投げられることもあると思います。

 

 

仮にうまく取り繕って入社できたとしても、採用担当だった社員に全然面接の時と違うと言われてしまったり、ミスマッチが起きてしまったりする可能性が高くなるでしょう。このことは、実際に大手企業で採用を担当した父が言っていたことです。。。。

 

 

 

アイデンティティを変えようとする危険性(実体験から)

私は、前の記事にも書きましたが、高校入学から約8年間、自分の強みや個性など、自身のアイデンティティに違和感を感じて生きてきました。今振り返って考えると、その違和感を生じた原因は、合わない雰囲気の高校に入学し、無理矢理適合しようと無理してしまったからだと感じています。

 

 

私の母校は、少し変わった高校でした。おそらく県内一番か二番の進学校でした。そこに集まった子たちは、中学で優秀なのにマイノリティとして生きてきた人たちであったのに対して、私は、中学では生徒会長として華やかに生きてきた人でした。そのためなのか、どうにもなじめず・・・。他の生徒はみんな友達で、楽しそうに生活しているのですが、私だけは、その集団に入れず、むしろ誹謗中傷されたり、暴力を振るわれたりしていました。

 

 

母校は、いじめのない学校として有名で、そこで必ず一生仲良くできる友達ができると評判でした。そのため、なんとか仲間に入れてもらおう、なじもうと思い、必死に自分を変えていこうと決意しました。

 

 

「仲間になれない自分が悪い」「自分は変われる」「自分を作り替える」

こんな言葉をよくつぶやいていた記憶があります。

 

 

しかし、高1の文化祭で、自分に違和感を感じ始めてしまいました。

自分は誰なんだろ?何ができるんだろ?何でいつも排除されているんだろ?

どんなにみんなにこびへつらっても、文化祭の準備に関わらせてもらえず、教室の端にいると先生に注意され、みんなから笑われるという日々の繰り返しで、毎日トイレにずっとこもっていたからでしょうか。教室に居場所がなく、机もないため、ほこりだらけの教卓のなかで弁当を食べていたらからでしょうか。

夏休みに入る頃には、自分がおかしくなったと感じていたのをよく覚えています。

 

 

結局、みんなにあわせたところで、友達もできず、3年間いじめは続いたのでした。

ちなみに、高2の頃、突如としてアイデンティティを取り戻したように過ごせた時期があったのですが、そのせいか、集団によるいじめが悪化し、体育の授業でテニスボールを頭に打ち込まれたり、ラケットで殴られたりするようになったことがありました。

(その後遺症なのか、ときどき体がつよく揺さぶられるような感覚があります)そこで、トドメのように「わからせられてしまった」んですよね・・・。

自分は自分を持ってはいけない、周りに合わせてこその自分だ、と。

 

 

 

ありのままの自分で

合わないのに合わせようとすることは、無理です。

とりわけ、アイデンティティに関しては、それを相手のニーズに合わせようとすることは、できなくはありませんが、絶対にやめておいた方が良いです。

私は、合わない環境に自らを合わせようとした結果、8年という貴重な時間を失いました。もしこの記事を読んでくださっている方の中で、自分を無理に作ったり、まわりに合わせようとしたりしている方がいれば、即刻やめてください。

人生を棒に振る可能性があります。

 

 

このような経験があるからこそ、就活対策一般で言われる「求める人物像を意識してES・面接対策をしよう」という考え方がストレスになります。

別に求める人物像なんて、嘘ばっかりだと思うんですけれどもね。実際に、某企業の採用説明会に行ったら、採用担当の方が「マイ○ビに書いた求める人物像は、ちょっと違います」と言い出して、既に発表されていたそれとは大きく異なるものを提示してきたことがあります。結局は、面接官の好き嫌い、につきるのだと思います(これは、私が大学院でお世話になった先生の受け売りですが・・・)。

 

 

もちろん、求める人物像に合わせなくたって、就活がうまくいく人もいると思います。そういう人は、うらやましいです。

 

 

私の個人的かつ最大の問題として、団体・組織になじめる人間ではない、というものがあります。就活のキモは、組織風土になじめる人間か、というものだと思います。私には、そのように思わせるような強みも、アイデンティティも、経験もないんです。

高校時代、よく「ガイジ!」とクラスメイトから言われましたが、本当にそうかもしれませんね(ちなみに、「ガイジ」なんて、偏差値70こえの高校生が言うこととはにわかに信じがたいでしょうが、本当によく言われました)。

 

なんというか、私は、開拓者であったり、改革者であったりする気質が強く、両親や好意的に接してくれる人たちからは、統率力がある、といわれます。

また、自分でいうのもなんですが、個性的なところもありまして、人と違うことをするのが好きです。人がまだやってないことを見つけてやるのも好きです。だからこそ、なかなか既存の組織に受け入れられにくい、ということがあります。

 

 

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大学院修了後の就活は、過去の8年間を失った経験を踏まえて、あまり自分を求める人物像にあわせにいかないよう心がけています。しかし、まぁ・・・結果はダメです。書類通過率は、現在20%です。

書類は通らないわ、受けられる企業も多くないわ、エージェントの掌の上だわ・・・という感じで、現在絶賛八方塞がり状態です。

 

とはいえ、自分を保てないと、就活、さらには、人生はうまくいかないような気がしています。

 

というのも、就活に疲れ、「自分」がなくなると、向いてもいない仕事をエージェントから勧められて応募して、うっかり就職できた暁には、向かない仕事を合わない環境で続けることになりそうだからです。

そして、また「魔の8年間」に戻る可能性が高く、今度こそ、自力で「自分」を取り戻すことができないでしょう・・・。

 

 

この記事のまとめ

就職活動のストレス=自分の認識している強みや個性を、企業の求める人物像に合わせようとすること、合わせるために解釈を変えること。

ストレスに感じる理由は、自身の自覚したアイデンティティについて、無理矢理その認識を変えようとすることは、自分を見失う原因になるから。

私の人生のキーマン、鈴井貴之さん

私の“キーマン”です、インキーマンなんてことはありません。

こんにちは、わんわん電鉄です。

 

音楽ブログ「わんわん電鉄」の姉妹ブログである本ブログ「わん鉄沿線」を立ち上げたのは、もう半年以上前のことだそうで・・・。本チャンの記事の1本目は、このことを書こう!と決め込んでいたうえに、きちんと自分のことを整理する必要があったため、なかなか記事を書けずにいました。

ようやく自分のことが整理できたと思えたので、記事にしてみたいと思います。

 

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 私の人生のキーマンは、鈴井貴之さんだと思っています。

 

正直、鈴井さんに出会えなかったら、「自分」を取り戻せなかったかもしれないな・・・とも思っています。そのように思う理由や、鈴井さんと出会って、自分に起きた変化などをこれから書いてみたいと思います。

 

1.「水曜どうでしょう」、そして鈴井貴之さんとの出会い

まずは、私が「水曜どうでしょう」に出会った経緯を簡単に。

私の母が、『今日の夜、「水曜どうでしょう」って番組で、ドイツやるみたいよ?観てみたら?」と私に声をかけたのがきっかけです。私の母は、番組表をくまなく見ていたところ、私が大学で研究対象としていたドイツに関する番組を見つけ、私が興味があるだろうと思い、そのように声をかけたようです。

 

 

昔から「水曜どうでしょう」の存在だけは知っていたので、『ついに観てみるか・・・!』という気持ちで観てみました。初めて観たのは、「ヨーロッパ21か国完全制覇」の第4夜であり、企画の途中からではありましたが、なんだかふっと笑えて面白く、気づいたら、毎週観てしまっていました。そして、毎週観ていくうちに、さらに他の企画も観てみたい!と思うようになり、NETFLIXで色々な企画も観るようになりました。番組にハマるまでがとにかく早かったのを記憶しています。

 

 

そして、『このかっこよくて面白いミスターとは誰?』と思ったのが、鈴井さんにハマるきっかけでした。本当に最初のきっかけは、声の良さだったかと記憶していますが、「ヨーロッパリベンジ」で色気ムンムンかつ前後枠ではっちゃけるミスターを観ているうちに、『ミスターと呼ばれる男性、かっこいいし、面白くて、めちゃくちゃ好きだ・・・』と思うようになったのです。

そこで、色々と調べたり、ご自身のエッセーである『ダメ人間』も拝読したりしました。そして、ミスターの半生や、「水曜どうでしょう」への向き合い方の変化などが分かり、“ただのイケメン”ではないことが明らかになってきました。

 

このようにして、鈴井さんにハマり始めた頃、私自身にもかなり大きな心境の変化が訪れたのです。

 

 

2.私の失われた8年間

水曜どうでしょう」、そして鈴井さんにハマり始めた頃というのは、私にとって、人生のどん底にいるような時期でした。当時、私は、修士課程2年生だったのですが、劣悪な人間関係、すなわち、指導教員からの日常的なハラスメントや、他の学部生からの誹謗中傷、他方で、修論提出へのプレッシャーや、プライベートでの失恋経験などが重なり、精神的に疲弊していました。もっとも、このように精神的に疲弊した状況というのは、今に始まったことではなく、高校入学時、つまり8年前からずっと続いていたもので、そのなかでもとりわけどん底であった、というわけでした。

 

 

8年前になにがあったのか、というと、簡単にいえば、高校でのいじめです。教員と生徒が一体となって、私をいじめてきていることがよく分かり、あっという間に精神的に病んだ状態となりました。それ以来ずっと、自分が大切にしてきたことや大好きなことがわからなくなっていました。また、自分らしさ(アイデンティティ)が本当に分からなくなり、これまで15年間生きてきた自分と、今を生きている自分が乖離したような状態で苦しかったです。もしかしたら、いじめが原因の“アイデンティティの拡散”といえるかもしれません。

 

 

 そんな状態で8年間を過ごしてきたわけですが、去年の夏に「水曜どうでしょう」、そして鈴井さんに出会って、ウソみたいに、急に霧が晴れたように、心がふわっっと軽くなったんです。本当にウソみたいな話なんですが、本当です。

 

なぜ鈴井さんのおかげで急に元気になれたのか、自分なりに(こじつけかもしれませんが)その理由を考えてみました。

第一に、番組が面白くて、笑いすぎたからかもしれません。私はもともと笑い上戸ということもあり、どうでしょうは本当に面白くて、咳き込んで苦しくなるほどに笑ってしまいます。第二に、鈴井さんが私のタイプすぎたからかもしれません。もともと眉毛しっかりめ、目がぱっちりで、少し出っ歯気味の口が大きい男性がタイプです。鈴井さんは、とてつもなくかっこいい・・・好き!第三に、鈴井さんも大泉さんも、立てた企画を一生懸命実行しようとする姿に励まされたからかもしれません。第四に、番組の手作り感が心を温めてくれたからかもしれません。・・・・・・というふうに、考えれば色々と理由が思いつくのですが、個人的に一番大きく影響しているのではないかと思われる理由がこれです。

 

鈴井さんのお仕事が、私の心の奥底に葬られていたものに響いたから

 

 

3.鈴井貴之さんに出会って気づいたこと

(1)自分のアイデンティティとは?

鈴井さんは、「水曜どうでしょう」の企画構成をしつつ、出演もされています。このように、企画構成兼出演をこなしてしまうタレントさんって、あんまり多くないのではないかと思います。マルチタレント、という言葉は、よく聞きますが、それは、大体「歌手・文筆家・俳優」といった感じのもので、アーティストとして活躍するフィールドが複数あるという方がほとんどかと思います。

 

 

鈴井さんは、ある意味裏方の仕事でもある企画構成もやり、表舞台に立つ出演というポジションをこなされています。このような、自分で舞台を設定して、自分も演じる、という、両方やります!というスタイルに非常に共感したんです。

(それと、『ダメ人間』に書いてあったかと記憶していますが、鈴井さんが中学時代に副会長として色々と学内で企画するなどして楽しかった、振り返っていた記述にも共感しました。)

 

 

これは、私のアイデンティティが崩壊するまでの15年間の経験で身についた価値観やスタイルに共通するものでした。すなわち、(自分語りかつレベルの低い話で恐縮ですが)私は、小中時代から児童会や生徒会、クラブの部長など、人前に立つポジションを務めてきていました。しかし、人前に立って、指示を出すこと、人の上にたつことが好き、というわけではありません。むしろ、裁量権をもって、自分で企画やイベントを提案し、構成しながら、自分自身もチームのメンバーの一員として活動したり、裏方として活動したりすることが好きなのです。

 

 

高校でのいじめがきっかけで、私にとって、主体的に行動すること=悪=いじめの原因、という思考枠組みが染みついてしまい、私自身がこのような性格であるということをすっかり忘れてしまいました。それゆえに、その後の8年間は、引っ込み思案で、自分の意見も言えないような性格になってしまいました。この8年間という時間を今の私が振り返ってみると、別の人間の人生であるような気すらしてしまいます。

 

このようにして、鈴井さんとの出会いがきっかけで、私にとって本当に大切にしてきた価値観はなにか?ほんとうにやりたいことはなにか?私のアイデンティティとはなにか?を8年ぶりに取り戻すことができました。鈴井さんに本当に感謝です。

 

 

(2)やりたいことをやる勇気?

私は、前述の通り、高校時代をきっかけにすっかり引っ込み思案になるとともに、周りの目を気にしすぎるようになりました。高校入学当初こそ、私はこれまでどおり、自分のやりたいことをやろう!というフレッシュな気持ちで、いろいろなことに挑戦してきました。しかし、挑戦するたびに、陰湿な嫌がらせや周囲からの異常なまでの否定にあうようになり、次第に自信を失っていきました。

(ちなみに、今では笑えるようになったエピソードですが、私が高校1年で生徒会選挙に立候補した際に、私の選挙ポスターだけ剥がされ、近場の泥水の水たまりに捨てられていたことがあります。その後、選管によって引き揚げられ、シミ付きの状態で一人外れた場所(汚いから)に画鋲一つで適当に貼り付けられていました)。

 

 

水曜どうでしょう」は、私に挑戦する勇気を蘇らせてくれる番組でした。個人的に魅力的に感じたのは、地方ローカル局かつ深夜番組という、全国的に有名になるためには決して有利ではない状況だからこそ、メインストリームから一歩引いて、ある種の密やかさをもって自由(すぎる)にやる、という手法です。当時番組に携わっていた方からすれば、仕方なくこの手法をとらざるを得なかったのかもしれませんが、この手法は、本当に素晴らしいと思います。なぜなら、この番組にしかないオリジナリティが出るからです。メインストリームで競っていこうとすると、どうしても自身の付加価値を見失いがちだと思います。だからこそ、少し引いたところで、自由にやる、オリジナルにやる、ということは、大切なのではないでしょうか。

 

 

私も「大海に飛び込んで、周りに合わせたり、もまれたりする必要なんて無くて、誰もいないところで競わず自分らしく自由にやる方があっているんじゃないか?そうすれば、周りの目を気にしたり、否定されることを恐れたりすることなく、やりたいことをやる勇気が湧くのでは?」と思うようになりました。この気づきのおかげで、修士論文は、自分なりに自由に、そして結果的には、オリジナルなものを書くことができたと自負しています。ちなみに、口頭試問で、私の専攻分野と重複する分野を研究する副査から「独創性がすごい」と褒めていただいたことが私の自慢です。

 

 

また、生きること自体も、以前よりもかなりラクになりました。人に評価されようと思うと、評価基準のある、母数の多い環境に飛び込む必要があるようです。しかし、私の場合、評価されようと思ってそのように行動するよりも、一般的な尺度や評価基準から少し距離をとって、自分の付加価値を信じて自由にやる方が向いているかな、と思うようになりました(そのおかげか、2024年4月現在、無職ですが・・・。就活頑張ります)。

 

4. まとめ

私はもうすっかり、鈴井貴之さんファンです。そして、鈴井さんは、私の人生のキーマンです。

 

そんな気づきを得た頃に、ちょうどタイミング良く鈴井さんのご著書が出版になり、東京でもサイン会が行われました。運良くチケットを購入でき、私も参加させていただいたのですが、本当にキラッキラしていました。その際は、30秒くらいしか(しか、といっても、30秒も!という感じでもありますが!)お話しできなかったのですが、もしいつか、5分くらいお話しできる機会があれば、このことを是非直接お伝えしたいなぁと思いました。北海道にいきた~い!

 

 

せっかく取り戻したアイデンティティを再び失うことのないように、「いつも心にミスターを!」という感じで、生きていこうと思いました。

(鈴井さんのダメ人間的な側面については、織り込み済みです笑。なぜなら、『ダメ人間』で丁寧に描かれていたダメ人間エピソードや心理は、私に重なりすぎているからです・・・。私も、明日から本気出せばいいや、奇跡が起こってなんとかなる、とか思って余裕ぶっこいて大学受験に失敗した身です苦笑。)

『わん鉄沿線』のご案内②(ブログの方向性など)

こんにちは、わん鉄です。

 

本記事では、このブログの方向性及びブログ名の由来についてお話したいと思います。

 

ブログの方向性(扱う内容)

本ブログでは、さしあたり、車に関するテーマと、『水曜どうでしょう』関連のテーマ、その他に、日常で得た気づきを取り上げていこうと考えています。

雑記系ブログ・・・に近いと言えば近いかもしれませんが、一応、上記のようなテーマ設定をしています。

 

 

車に関するテーマについて

私は、今年の春にようやく普通自動車免許(AT限定)を取得しました。これをきっかけに、私の中の「車好き」が目覚めてしまったようで、色々と書いてみたくなりました。

運転を練習しながら思ったことなどを書いていければいいなぁと思います。なお、運転は、超絶下手です。

 

 

水曜どうでしょう』に関するテーマについて

めっちゃ遅ればせながら、『水曜どうでしょう』にハマっています。今のところ、ヨーロッパ系は、全て視聴しました。面白いです、面白すぎる。ここ最近で一番笑っています。早くその感想を書きたい!という気持ちに駆られています。このサブブログを開設しようと思った理由の9割が、「『水曜どうでしょう』の感想を書きたいから」です。

 

 

その他、日常で得た気づきなどについて

このテーマに関しては、このサブブログにおいては、おまけのようなものです。生活の中で、使ってみたら便利だったものやこと、失敗したことで、広くブログという形で発信したいと思うことがあれば、記事にしてみたいと思います。

 

 

 

ブログ名の由来

本ブログは、『わん鉄沿線』と申します。

メインブログ『わんわん電鉄』の沿線、という意味です。乗った電車(わん鉄)からふと降りた駅から、沿線での観光を楽しんでいただきたい、そんな気持ちです。

 

 

もともと、メインブログについては、鉄道の路線図の広がり具合に、私の音楽趣味が広がっていく様子を重ねるという意味で、『わんわん電鉄』というブログ名にしました。それゆえ、『わんわん電鉄』(という架空の鉄道会社)それ自体が、私の音楽趣味を指します。

このサブブログにおいては、私の音楽趣味から派生したり、あるいは、音楽趣味に関連したりしているテーマを扱うという意味で、『わん鉄沿線』というブログ名になりました。

(例えば、『水曜どうでしょう』は、堂島孝平さん関連で、さらにつよく興味をもつようになりましたね!)

 

 

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2回の記事にわたり、自己紹介をしてみました。

メインブログとこのサブブログは、私にとって、車の両輪のような関係です。

どちらもご愛顧賜れますと幸いに存じます。

 

これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

『わん鉄沿線』のご案内①(ブログ開設の経緯)

私は、音楽ブログ『わんわん電鉄』を書いております、わんわん電鉄の代表取締役社長です(わんわん電鉄とは、架空の鉄道会社です)。

『わんわん電鉄』は、こちらになります。

wantetsu.hatenablog.com

 

はじめましての方は、はじめまして。

これまで音楽ブログの方を読んでくださっていた方は、こんにちは。

 

 

突然ですが、音楽ブログ『わんわん電鉄』と並行して、新しいブログとして『わん鉄沿線』というブログを始めます。

 

 

 

サブブログを始めた理由

このようなサブブログを始めようと思ったきっかけは、第一に、音楽の話題とは異なる、私の別の趣味や、今ハマっていることについて発信したいと思ったからです。

『わんわん電鉄』を音楽ブログから雑記系ブログに変えようかなぁとも考えたのですが、それはやめました。なぜなら、そもそもそのブログも、特定のアーティストに特化していないという点で、雑記系ブログに近いものがあるなぁと思ったからです。

 

 

 

第二に、ある趣味・ハマっていることが、私の好きな音楽と関連しているけれども、それは別の分野のものであるという場合に、音楽の話は、音楽ブログで、それ以外の話は、本ブログで、というような形態を作り、そして、簡単に相互参照できるようにしたいと思ったからです。

例えば、私が好きなアーティストが、あるドラマの主題歌を担当しているとします。この場合に、そのアーティストの主題歌の感想は、音楽ブログに書き、そして、そのドラマの感想は、本ブログに書く、という形をとることにします。なぜなら、その方が、私が記事を書きやすいのです(自己中ですみません)。

 

 

実は、もともと『わんわん電鉄』の他に、別の雑記ブログを運営しており、そこで、ドラマの感想などを書いていました。しかし、一応"別人格"ということでやっていたこともあって、『わんわん電鉄』の方で書いた内容と重複したり、関連したりしそうな内容は、なんだか書きにくい、ということに気がつきました。それならば、いっそのこと、明らかに同じ人が運営しているブログであると明示した上で、そのような内容を書けば良いのではないか、興味を持ってくださった方には、相互参照してもらえるようにすれば良いのではないかと思いました。

(もう一点、アカウントの切替えの必要が無くなるので、切替えの煩わしさがなくなるというメリットを感じました。)

 

 

以上のような理由から、新しく『わん鉄沿線』というブログを始めることにしました!

 

 

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ひとまず、『わん鉄沿線』のご紹介は、ここまでといたします!

一応、「記事もないのに、『わんわん電鉄』とよく似た怪しいブログがあるぞ」と謎(?)に思われる方もいらっしゃるでしょうから、さしあたりこのブログの開設の経緯をお話ししました。

 

 

次の記事では、本ブログ『わん鉄沿線』という名称の意味合いと、本ブログで扱う予定の分野について書いてみたいと思います。